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2023

三浦半島の自然と歴史(19)三浦義村と北条義時・泰時

 昨年は、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で話題になった鎌倉、そしてその舞台となった三浦半島にスポットが当たった1年でした。
 物語の主役となった北条義時は、源頼朝を支え、頼朝亡き後は姉の北条政子とともに鎌倉幕府を執権として守ってきた武将です。従兄弟で幼馴染の御家人三浦義村は、和田合戦の時、三浦一族として和田義盛側についていましたが、突如義時側に寝返り、そのため義盛側は負けてしまいました。その後も承久の乱で、後鳥羽上皇の義時討伐に対しても弟の三浦胤義(たねよし)の招集に応じず義時が総大将であった幕府軍につき、娘(矢部禅尼)を泰時の妻にするなど(のちに離婚しますが)、泰時を支え続けました。その後、泰時は武士社会の基本となる法典として「御成敗式目」を定めたことにより、執権として親をも超える偉業を残しています(研究者によっては異論あり)。式目は、もっぱら日本社会の慣習や倫理観に則って独自に創設された固有法という点で、日本法政史上特殊な地位を占めているといわれています。
 義村の死後、宝治合戦で三浦一族宗家が滅亡し、佐原盛時が「三浦介」を継承するも最後は新井城で北条早雲に滅ぼされます。しかし、三浦一族が鎌倉幕府(北条義時・泰時)を支えたという意味では、重要な役どころであったといえるでしょう。

参考文献:『承久の乱―真の「武者の世」を告げる大乱』坂井孝一著 中公新書 2018
     『眠れないほどおもしろい吾妻鏡』板野博行著 王様文庫 2021
     『北条義時―鎌倉殿を補佐した二代目執権』岩田慎平著 中公新書 2021
     本誌2021年11月号「三浦半島の自然と歴史② 三浦一族と笠懸」

認定NPO法人 バイオメディカルサイエンス研究会 常任理事前川秀彰

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