- 日替わりコラム
Thu
6/29
2023
品川用水は、玉川上水を境村(武蔵境)で分け、そこから三鷹、世田谷を通って、品川に至る全長28kmにも及ぶ長い用水路です。こうした長い用水路は途中、高いところを流します。一度でも谷に落ちてしまうと、水は登ることがありませんから、途中の世田谷辺りでは、その地域の一番高いところを用水が流れることになります。日照りのときなど、用水の土手を壊して自分の村に水を引きたくなるのは当然で、そこで起きたのが嘉永(江戸末期)の盗水事件です。その訴訟関連文書によると、「途中の世田谷で盗水があって水が田んぼに来ない」と、品川の村がお上(品川は幕領なので代官に)に訴えます。それに対して世田谷の村は、「そこはもともと狐穴」と苦しい言い訳。でも、さすがにそれではと「無筆愚昧※1 もの故、御高札※2 の面をも弁(わきま)え」ない伝次郎が狐穴の脇に水路を掘ってしまった。きつく叱り二度としないことで、双方の村で示談にしたい、という内容でした。そこで、その盗水事件の現場、狐穴を探しに出かけてみました。品川用水は昭和20年代には埋められ、今は道路になっています。しかし、その道はちゃんと高いところを通っています。土手を崩すとすれば、自分の村の田んぼのあった谷戸の上流のはず、ということで、たぶんここだろうという路地を発見しました。周りはすっかり開発されていますが、地形は昔を物語っていました。
※1 おろかで道理がわからないこと
※2 法令などを板に記述して人々に掲示したもの
元中学校教員福田恵一
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