イカリホールディングス株式会社 よりそい、つよく、ささえる。/環文研(Kanbunken)

COLUMN

- コラム

「月刊クリンネス」に掲載された
過去の連載コラムの中から、
テーマ別に選りすぐりの記事をご紹介します。
(執筆者や本文の情報は執筆時のものです)

京都の魅力を訪ねて(3)

京都史愛好家(京都検定一級合格者) 井田恭敬

芭蕉も訪ねた嵐山絶景の地「大悲閣」

 11月、京都屈指の紅葉の名所嵐山一帯は、大勢の人で賑わいます。
 桂川(かつらがわ)にかかる渡月橋(とげつきょう)あたりの川幅は広く、ゆったりと流れていますが、この上流十数キロにわたる保津峡(ほづきょう)は、奇岩奇勝(きがんきしょう)が連続する急流です。今はスリリングな川下りも楽しめますが、往時(おうじ)※1 、その険しさはさらに凄(すさ)まじく、舟を通すことなど思いもよらなかったといいます。
 江戸時代初期、この川を開削整備し、川上の丹波地方から京都へ木材などの輸送を可能にしたのが、豪商で土木事業家でもあった角倉了以(すみのくらりょうい)でした。峡谷の大岩石に挑み川幅を広げるのは、当時の技術力では大変な難工事で、了以は現場に出て、自らつるはしを振るったといいます。
 完工後、了以は工事の犠牲者を慰霊するため、大悲閣(だいひかく)(千光寺)を建て、晩年はここに隠棲(いんせい)しました。寺は、渡月橋から川の右岸を遡り、さらにつづら折りの石段を登りつめた山の中腹にあります※2 。かつて俳人松尾芭蕉もここを訪れ、「花の山 二町※3 のぼれば 大悲閣」と詠みました。堂内には、僧衣姿で石割斧(いしわりおの)を持ち、工事用の荒綱に座す了以の木像が安置され、その眼光は鋭く、工事の完遂に強い意志で臨んだことが伺えます。
 寺の眼下には峡谷を飾る見事な紅葉が広がり、遥かに京都市街から比叡山や東山三十六峰までを見渡すことができます。大悲閣は麓(ふもと)の賑わいを離れ、山の静けさに耳を傾けながら、秋の絶景に浸れる穴場です。
(2017年11月号掲載)

※1 過ぎ去った時代
※2 渡月橋から大悲閣までは、徒歩で約30分
※3 約220m

京都の年越し 知恩院から八坂神社へ

 大晦日、京都の除夜の鐘で最も人気のあるお寺は、大鐘をダイナミックに撞(つ)くことで有名な「知恩院(ちおんいん)」でしょう。江戸時代初期に鋳造(ちゅうぞう)されたここの鐘は、高さ3.3メートル、直径2.8メートル、重さ70トンと巨大なもので、奈良の東大寺、京都東山の方広寺と並び、日本三大梵鐘(ぼんしょう)※1 といわれています。
 広い境内は鐘撞きが始まる2~3時間前から、参拝者で一杯になります。幾重にも重なった長蛇の列に従い、鐘楼(しょうろう)※2 まで進むと、厳(おごそ)かな空気の中、17人の僧侶が親綱、子綱を持ち、掛け声とともに力を振り絞って一打一打を撞く迫力ある姿が見えます。「ごおぉぉん」という大音響に包まれ、鐘に向かって合掌すると、1年が終わるという感慨が湧いてきます。
 寺を出ると、人の波は八坂神社の初詣に向かいます。八坂神社では、大晦日から元旦にかけて「をけら詣(まい)り」が行われます。「オケラ」は薬草の一種で、これを焚くと強い匂いを発し、邪気を払うといいます。参拝者はオケラを焚いた「をけら火」を灯籠(とうろう)から火縄(吉兆縄(きっちょうなわ))に受け、消さないようにクルクルと回しながら家路につきます。これを神前の燈明(とうみょう)や雑煮を炊くときの火種とし、1年間の無病息災を祈るのです。寒い夜道にクルクル回る小さな赤い火は、京都の年越しを代表する風物詩です。
(2018年1月号掲載)

※1 仏教で時を知らせたり儀式の合図に打ち鳴らす釣鐘
※2 寺院内にあり梵鐘を吊す堂。鐘撞き堂、釣鐘堂、鐘楼堂ともいう

「上がる」と「下がる」

 京都市街では、通りの交差点を起点に「上(あ)がる(北へ)、下(さ)がる(南へ)、東入(ひがしい)る、西入(にしい)る」という独特の住所表示がなされています。平安京以来の大路小路(おおじこうじ)が、縦は南北、横は東西の「碁盤の目」状に配されたことで、今でも地所を東西南北で示すことができるのです。たとえば、「京都市役所」と、織田信長の最期で有名な「本能寺」は、いずれも「寺町通」に面しており、前者の住所は「中京区寺町通御池(おいけ)上がる」、後者は「寺町通御池下がる」と表示されています。寺町通りと御池通りの交差点の北側が市役所、南側が本能寺ということが分かります。
 北方向を「上がる」というのは天皇の居住地であった大内裏(だいだいり)が北の方角にあり、(宮中に)上がるといえば北へ行くことを示したからといいます。こうした呼称は江戸時代の初め頃には定着していたようで、当時の川柳に「九重(ここのえ)※ は 上がる下がるで むつかしい」という句も残っています。お上りさんが珍しい呼び方に戸惑っていたことが伺えますが、今でも旅行者には難しい表現かもしれません。私も京都初心者の頃は、交差点で方角が分からずよく迷いましたが、そんなときは東山の山並を見て東方向を確かめていました。慣れてくると「上がる、下がる、東入る、西入る」が道案内となり、お目当ての店や小さな寺社にも容易にたどり着くことができ、京の街がぐっと身近に感じられるようになりました。
(2018年3月号掲載)

※ 都のこと

鯖街道は走る道

 京都と若狭(わかさ)・小浜(おばま)(福井県)とを結ぶ全長約80kmの若狭街道は、別名「鯖街道(さばかいどう)」と呼ばれます。古代、若狭は朝鮮半島やアジア大陸からの玄関口でした。大陸からは仏教をはじめ、多くの文化や物資がこの街道を経て、奈良や京の都へ伝えられました。時代が下ると日本海で獲れた豊富な海産物を運ぶ道として利用され、海から遠い都において、貴重な海の幸を大切に調理する京料理の発展を支えてきました。江戸時代中期以降は庶民にも人気があった鯖が多く運ばれるようになり、いつしか「鯖街道」と呼ばれるようになったのです。
 鯖は生腐(いきぐされ)といって、傷みやすい魚です。交通手段が発達していなかった時代、獲れたての鯖に塩をまぶし、「負縄(おいなわ)※1 一本」で担いだ行商人が、山道を夜通し駆け抜けました。京に着く頃には丁度良い味加減となり、塩鯖、刺鯖(さしさば)として京の朝市を賑わせたといいます。
 現代の鯖街道は文化庁の「日本遺産」にも登録され、沿道には歴史豊かな大原の里や、茅葺(かやぶき)屋根の集落も残り、日本の原風景が楽しめます。また、京都側の終点である出町柳(でまちやなぎ)近辺には往時を偲ぶ街道茶屋や、京都のハレの日に欠かせない「鯖寿司」の名店が今も伝統を繋いでいます。
 毎年5月には、「鯖街道ウルトラマラソン」※2 が開催され、全国からファンが集い、1日かけて「駆け抜ける」鯖街道を再現しています。
(2018年5月号掲載)

※1 荷物を負うための縄
※2 2018年の開催は、5月20日(日)

東京遷都で生まれた「京都御苑」

 今年は明治維新150周年を迎えましたが、明治元年(慶応4年)の京都は、年初に鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いで幕府軍が敗退したことにより騒乱は収まり、比較的平穏な時を迎えました。しかしこの年の7月、明治新政府は「江戸を東京(東の京、京はミヤコの意)」と定め、翌年には天皇とともに公家や政治家が一斉に東京へ移動することになりました。平安京以来、1,000年以上続いた都が遷(うつ)ることには大きな抵抗がありましたが、新しい時代のスタートは新たな都からとの理由でした。
 江戸時代の御所(皇居)の周囲には、200もの宮家・公家の屋敷がびっしりと建ち並んでいましたが、東京遷都とともに公家町は急速に解体され、荒廃しました。商人や職人の流出もあり、京都の人口は幕末の35万人から一気に10万人以上が減少したといいます。
 その後、京都は首都移転による影響を乗り越え、町の近代化を遂げ、その中で公家町は整備されて「京都御苑」に生まれ変わりました。
 南北1.3キロ、東西700メートルの広大な敷地は、よく手入れされた松並木と芝生の広場、そして梅、桜、もみじなど四季折々の樹木や花々で彩られる憩いの場となっています。苑内には京都御所や、御苑十跡と呼ばれる史跡、また、さまざまな伝統技能の粋(すい)を味わえる京都迎賓館などがあり、豊かで美しい自然の中に歴史と文化が溶け合っています。
(2018年7月号掲載)

歳を重ねるほどに輝く特別な場所

 本年6月に発表された「京都観光総合調査」によると、平成29年の京都市への観光客数は5300万人を超えました。外国人も743万人で、毎年増え続けています。多くの人々を迎え、名所旧跡の混雑や激しい交通渋滞、ホテル不足など負の側面もありますが、同調査においても観光客の満足度や感動度は極めて高いと指摘されています。
 京都は山紫水明(さんしすいめい)の美しい自然に囲まれ、古い町並みや寺社の佇(たたず)まい、伝統文化、そして「食」と、その魅力は尽きません。また、そこかしこに残る歴史上の人物たちの活動の痕跡から、多彩な歴史に思いを馳せることができるのも、京都ならではでしょう。
 各年代によりさまざまな楽しみ方がありますが、年齢を重ねることにより奥深い京都の歴史への興味が増してくることは間違いありません。脳科学者の茂木健一郎氏は、「この場所には、京都適齢期とでもいうようなものがある。自らの生の歳月を重ねることによって、人は初めて歴史を味わうことができるようになる」と述べています。さらには、「自分の人生を一生懸命生きたぶんだけ、京都はその魅力を開いてくれる」とも。
 私が「”京都適齢期”」を自覚してから十有余年。これからも、自らの来(こ)し方(かた)※ への思いを重ねつつ、京都の新たな魅力を発見する旅を続けていきたいと思います。
(2018年9月号掲載)

※ 過ぎてきた時。過去。

  • 全て
  • 感染症
  • 健康
  • いきもの
  • 食品
  • 暮らし