イカリホールディングス株式会社 よりそい、つよく、ささえる。/環文研(Kanbunken)

COLUMN

- コラム

「月刊クリンネス」に掲載された
過去の連載コラムの中から、
テーマ別に選りすぐりの記事をご紹介します。
(執筆者や本文の情報は執筆時のものです)

合っていますか?その日本語(2)

文化庁国語課 国語調査官(執筆当時) 武田康宏

「さ」と「さ*」

 埼玉県の県庁所在地である「さいたま市」。さいたま市役所では、市の名前を印刷したり書いたりするときに、二画の「さ」を使い、三画の「さ*」は使わないというルールがあるそうです。
 小学校の教科書を見ると、平仮名の「さ」は三画の形(「さ*」)になっています。手で書くときにも、三画の形で書くように教わるのが一般的です。ちなみに、「さ」に横画を一本加えた「き」も同じで、小学校の教科書には四画の形(「き*」)が使われています。
 「さ」と「さ*」は、印刷文字のデザインの違いです。「さいたま市」の採用している二画の「さ」は、明朝体やゴシック体など、印刷でよく使われてきた形です。一方、手書きの楷書では、三画で「さ*」のように書く方が多く使われてきました。小学校の教科書に使われる教科書体は、楷書の形をまねてデザインされているので三画なのです。
 したがって本来使い分ける必要はなく、どちらで書いてもかまいません。さいたま市も、市民をはじめ一般の人が「さ*」と三画に書いたからといって、問題にすることはないそうです。しかし、既に小学校で使う教科書のひとつである地図帳には、「さいたま市」の表記にだけ二画の「さ」を使ったものが現れています。「さ」と「さ*」には使い分けがあるといった誤解につながらないとよいのですが。
(2017年2月号掲載)

*二画目と三画目が離れている「さ」、
三画目と四画目が離れている「き」>>【参考】掲載当時の紙面PDFは
こちらからダウンロードできます

「チョッキ、ベスト、ジレ」

 社会の変化は、言葉も変えていきます。たとえば、ファッション。流行の変化とともに服の呼び方まで新しくなり、場合によっては、世代間で話が通じなくなることさえ起きています。
 一例に、「チョッキ」と「ベスト」、そして「ジレ(ジレー)」があります。それぞれ同じ「袖がなく丈の短い胴着」を指しますが、年配の方には「ジレ」なんて聞いたことがない、若者の中には「チョッキ」と言われてもわからない、という人がいるかもしれません。「チョッキ」は語源に諸説あるものの、江戸時代末期の文献には既に見られる日本だけの言い方です。「ベスト」は英語、「ジレ」はフランス語に基づきます。
 ほかにも「背広/スーツ」、「とっくり/タートルネック」、「ズボン/スラックス/パンツ」、「トレーナー/スウェットシャツ」、「スパッツ/レギンス」、「ジーンズ/デニム」、「ランニング/タンクトップ」など、同様の服が別の言い方に変わってきた例があります。呼び方ひとつでイメージが一新されるため、デザインの追究とともに、より新鮮で購買意欲を呼び起こす言葉が求められてきたのでしょう。
 服の呼び方に限らず、言葉は時代とともに変化していくもので、それを止めることはできません。ただし、新しい言葉を使うときには、相手にちゃんと伝わるかどうかを意識しておきたいですね。
(2017年4月号掲載)

「手紙」は、「トイレットペーパー」

 昨年、日本を訪れた外国人の方は2千万人を大きく超えました。そのうち、中国、台湾、香港からの旅行者が過半数を占めます。漢字を使っている人たちとなら意思の疎通がしやすそうですが、日本語と中国語とで同じ漢字の語がまったく違う意味で使われている場合があります。
 「この人が老婆です」と、若い女性を紹介されたら驚かれるでしょう。けれど、「この人が私の妻です」と紹介してくれているのかもしれません。中国語で「老婆」は、若い人も含んだ「妻」を意味します。ほかにも、「娘」は「母親」を、「愛人」は「配偶者」を指すなど、日本語とはまったく異なる使い方がされています。
 「可憐な少女から手紙をもらった」を、中国語の意味に合わせて読むと「ふびんな少女からトイレットペーパーをもらった」ということになってしまいます。「可憐」は日本では「いじらしくかわいらしい様子」ですが、中国では「かわいそう」、「ふびんな」といった意味です。「手紙」が「トイレットペーパー」とは、おかしいですね。
 国際化が進み、職場や地域で外国の方と一緒になる機会が今後も増えていきそうです。相手が漢字圏から来た人だからといって、勘違いが生じないとは限りませんが、漢字の使い方の違いを話題にすると、コミュニケーションを図るよいきっかけになるかもしれません。
(2017年6月号掲載)

「こだわる」のは良いことか

 「コーヒー豆には"こだわり"があるんだ」、「当店は材料に"こだわっ"ています」といった言い方があります。この「こだわり」には、ものごとへの思い入れやこまやかな気配りが読み取れるでしょう。しかし、こうした言い方に違和感を覚える人もいるようです。
 というのも、もともと「こだわる」という言葉は、「差し障る」、「細かなことにとらわれる」など、良くない意味で使われていたのです。明治から戦後すぐまでの小説を見ると、「学士なんてものはやっぱりえらいものだ。妙な所へ"こだわっ"て、ねちねち押し寄せてくる」(夏目漱石『坊っちゃん』)、「たべものなんかに"こだわる"のは、いやしい事だ。本当に、はずかしい事だ」(太宰治『雪の夜の話』)といった例ばかりで、良い意味で「こだわり」を使ったものは、ほとんどありません。
 しかし、もはや良い意味で「こだわり」を使うのを誤りだとは言えないでしょう。『明鏡国語辞典』(大修館書店)では、良い意味での用法を「新しい言い方」として採用しています。「つまらないことを気にする」という意味を「細かなところにまで気を使う」という観点から、プラスに転じて使うようになったものと考えられます。
 言葉は、時代とともに変化していくものです。自分の言葉への「こだわり」にとらわれすぎない柔軟さも求められています。
(2017年8月号掲載)

「カタカナ語」に注意

 「我が社はガバナンス強化のためのタスクフォースを立ち上げ、エンパワーメントを追究するとともに、コンプライアンスとリスクマネジメントを一層徹底してまいります」。言っていること、わかりますか。
 日本語は、外国の言葉をうまく取り入れて発展してきました。中国から入ってきた漢語が数え切れないほど溶け込んでいますし、そもそも漢字も大陸から取り入れたものです。近代以降、欧米からの言葉も一気に押し寄せ、主にカタカナで表記されます。カタカナ語は、生活に彩りをもたらしました。しかし、伝え合いの妨げになる場合もあるのです。
 冒頭のようなカタカナ語は、この15年ほどで広がってきたものですが、文化庁の世論調査で、多くの人が「わからない」と答えた語が含まれています。一見格好が良く、また、十分に意味を知っている人には便利な言葉かもしれません。しかし、仲間内だけの独りよがりな理解にとどまり、外の人たちに対して扉を閉ざしてしまう危険があります。
 「我が社は、自分たちの手で社を最善の状態に管理していくための特別班を立ち上げ、社員が自主的に能力を伸ばすための機会や制度づくりを追究するとともに、企業倫理をしっかりと守り、今後起こり得る危機を回避するための対策を一層徹底してまいります」。ひと工夫すれば、カタカナ語なしでも、ほとんど同じことが言えそうです。
(2017年10月号掲載)

「後で後悔」できるのか

「後で後悔した」、「まだ未完成」といった言い方が問題にされることがあります。「馬から落馬した」、「頭痛が痛い」などと同様に、意味の上で重複がある「重言」であり、誤っているというのです。
 たしかに、「後悔」という言葉を分解すれば「後で+悔やむ」ですから、その上に「後で」を付け足すのは一見余計に思えるでしょう。しかし、たとえば、誰かとけんかをしてしまったとき、直後には何とも思わなかったものの、時間がたってから後悔するようなケースでは、「彼とけんかしたことを後で後悔した」と言うのは自然です。
 「まだ未完成」の方はどうでしょうか。こちらも「未」に「まだ」という意味がありますから、多くの場合には、改めて「まだ」を加える必要はないでしょう。しかし、「バルセロナのサグラダファミリアは、着工から130年以上たっても、まだ未完成だ」といった文では、「まだ」があった方がしっくりします。ここでは、「完成していない状態」を表す言い方として「未完成」が使われています。
 同様に「従来から」、「一番最後」なども「重言」とされることがありますが、古くから広く使われてきており、夏目漱石の小説などにも見られる表現です。安易に誤りであるとは決めつけられません。気にする人がいることに留意しつつ、必要に応じて用いてもよいでしょう。
(2017年12月号掲載)

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