- 日替わりコラム
Fri
6/10
2022
私たち人間は、何事も「分別する(ものを見分ける)」ことによって、物事を捉えることができる"つくり"になっております。ものを見分け聞き分けることのできる分別心あればこそ、善悪を見極め、清濁を識別し、正誤を判断することができます。
しかし、「何が善で何が悪なのか?」については、時代や文化、その人の立場や環境、生き方によって、様々な違いが生じることは当然で、一方的な考え方に偏って、相手との違いを認めないことが「差別」なのではなく、私とあなたは、同じ命の上に立ちながら、それぞれの違いがあることを認め合い、尊重し合うことを「差別」と申します。
仏教では、「差別なき平等は悪平等」と言って、「差別をしない(他の違いや個性を認めず、尊重しない)平等は、ほんとうの平等ではない」と教えております。
人はよく、天や神仏に不平等を訴えますが、不平等なのは、天や神仏の方ではなく、私たちの方であり、いつでも私たち側の問題なのです。
『至道無難、唯嫌揀択』…「幸せに生きることは、そう難しいことではありません。片一方だけを選り好みする生き方ではなく、ありのままを受けとめていく生き方なのです」と。混迷の中、現代に生きる私たちに贈られた、古(いにしえ)先徳からの愛語であろうと思います。
合掌
下野薬師寺別院 舎那殿壇 龍興寺 副住職阿波建多
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