- 日替わりコラム
Wed
1/25
2023
東京の多摩川北岸に広がる武蔵野台地は、江戸時代初期に引かれた玉川上水によって開発が行われた地域です。羽村から江戸まで約43kmの本流から南北に数多くの分水が引かれ、それが田用水や飲用、生活用水に利用されました。その中から今回は、国分寺市内に残る恋ヶ窪村分水の跡をたどってみましょう。
多摩川支流の野川源流にある恋ヶ窪村が田用水として引いたこの分水は、西武線鷹の台駅の近くで玉川上水から分水し(明治3年からは砂川分水から)、しばらくは台地の上を流れます。昭和40年代まで利用されていた水路は、暗渠(あんきょ)化※ された部分もありますが、一部にその水路跡が残っています。とりわけ、村内に入って、野川の谷に下りる坂道には水車への回し堀の跡が、小さな丘を越える部分には深く掘り込んだ堀跡も残っています。坂を下って、野川源流のひとつである恋ヶ窪谷(その周辺が村であった)に下りると、崖の湧水を合わせてため池ともなっていた姿見の池があって、そこがこの分水の終点です。姿見の池は、周囲の雑木林とともに保存・復元され、公園となっています。周辺は宅地化が進み、すでに田んぼはもちろん、畑もほとんど見られなくなっていますが、過去の記録などを見ながらその水路跡をたどってみると、各時代の用水の使われ方や水とのかかわり方などが見えてきて、楽しいコースです。
※ 水路におおいをしたり、地下に埋設することで見えないようにすること
元中学校教員福田恵一
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