- 日替わりコラム
Mon
10/30
2023
私たちは皆、生あるものは必ず死を迎えなければならないという事実を頭では理解しておりますが、それは、何となく自分事ではないような、どことなく遠い未来のことのように感じながら、日々を生きております。
実際に、病と闘っていらっしゃる方や、天災や事故などによって命の危機に直面された方、あるいは、命を救おうと日々奮闘してくださっている医療従事者の方や、葬儀に携わるお仕事をなされていらっしゃる方、私ども僧侶など、死を身近なものとして、「いのち」と向き合う機会のある方でなければ、そのことを肌で実感することは難しいと思います。
日々を忙しく生きておりますと、元気に仕事ができることや、たとえ平凡であるとしても、普通に生活ができることなど、「生」あることが当然のことのように思われ、「死」という存在が特別なものであるかのように感じてしまうものです。人間というのは不思議なもので、「死」を当然のことと感じるようになりますと、むしろ、「生」という存在の方が、「いと惜しい」ものであることに気づかされるようになります。
『仏さま』という名の「いのち」は、太古の昔から悠々遼々(ゆうゆうりょうりょう)として生と死に分かたれることがありません。今を生きる私たちがどうであれ、なんにも変わることなく、生と死を大きな一つの、「愛おしい」悠(はるか)なる「いのち」として、私たちのことを包み込んでくれています。
合掌
下野薬師寺別院 舎那殿壇 龍興寺 副住職阿波建多
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