イカリホールディングス株式会社 よりそい、つよく、ささえる。/環文研(Kanbunken)

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Fri

12/1

2023

ストレス社会を心穏やかに生きる(110)塵(ちり)を払(はら)い、垢(あか)を除(のぞ)かん(2)

 お釈迦さまの教えを守り、毎日、毎日、「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら掃除に励んだ周利槃特(しゅりはんどく)は、日々の清掃の中で、自分の心の中にある愚かさや悲しみ、苦しみといった塵や垢と向き合っていきます。
 目の前にある塵や垢を清めることは、自身の心の中にある煩悩(ぼんのう)を浄めることになることを知(し)った周利槃特は、より一層、掃除に勤(いそ)しむようになります。毎日、毎日、塵や垢(煩悩)と向き合っていくうちに、そもそも、塵や垢(煩悩)とは何なのか。自分が掃除をしているのか、掃除が自分をしているのか、その境界(きょうがい)がなくなっていきます。
 仏教では「三昧(さんまい)」と申しますが、一つのことに集中したり、没頭したりしますと、自我を忘れる(「無我夢中」)ことがあります。自我を忘れるということは、無我を覚(し)るということであり、自(みずか)ら(わがまま)ではなく、自(おのずか)ら(あるがまま)の世界(「自然(じねん)」)に、「いのち」という名の「自(わたくし)」が包まれていくということです。実は、「自(わたくし)」が「いのち」を生きているのではなく、「いのち」が「自(わたくし)」を生きてくれているのです。
 毎日、毎日、「自(いのち)」と向き合った周利槃特は、やがて、払うべき塵も、除くべき垢もないことを悟(し)り、聡明な兄の摩訶槃特(まかはんどく)も到達し得なかった阿羅漢(あらかん)(最高の悟りを得た聖者)の世界に入って行かれました。
 「 師走(しわす)の大掃除(おおそうじ) 除夜(じょや)の鐘(かね) 煩悩(ぼんのう)無尽(むじん)誓願断(せいがんだん)(自詠) 」

合掌

下野薬師寺別院 舎那殿壇 龍興寺 副住職阿波建多

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